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自分を許すとか言う難攻不落

疲れた、眠い、腹減った。でも寝ても疲れ取れない。食欲出ない。消えたい・・・。
とか、悪いことばかり考えてるkiyuuです。

この悪い流れと言うか負け癖を無くさないと変われないし弱いままだね、頑張る。。。

この前、ありったけの悩みをカウンセラーと話に行きました。
その中で「今の自分を許そう。今この状況でもいいじゃない」と言われた。
とりあえず相槌は打ってみたが理解出来なかった。

この状況を受け入れて、「そうですよ」なんて言ったら惨めになる。生きて行ける自信ないです。
ただこの言葉だけ違和感あったから書き留めて置きたかったんです。

生きてるのか死んでるか分からない感覚。生きて無い感覚かもしれない。宙に浮いてる感覚。思い通りに身体が動いてくれないんです、しかも寝れてないから余計に疲れがたまりやすく一日が上手く行かない気がして、もうやだw

もっと強くなりたい、もっと自信持って堂々としてたい、もっと自分のことだけを考えてあげたい・・・。

とりあえず寝よう。皆さんおやすみ!
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Don’t stop my life

「超訳 ニーチェの言葉Ⅱ 001より」

001 待たずに進め、生きろ!

きみはどうしていつまでもそこで佇んでいるのか。何を待ち続けているのか。遠いところから誰がやってくるというのか。
いつ来るかわからない幸せを、そうやって呆然と立ち尽くして待っているのか。あるいはいつの日か、神や天使が現れて祝福してくれるというのか。待ち続けてさえいれば、誰かが今の苦境を奇蹟的に救ってくれると思っているのか。
しかしそれでは、きみは待ち続けるだけで人生を終えるだろう。すべきことは、きみがもう一度強く生き始めようとすることではないか。
しかも、この瞬間、そして次の瞬間、自分なりに最大の充実をもって最高の自分を生ききることではないのか。

“しかしそれでは、きみは待ち続けるだけで人生を終えるだろう。”という言葉が強く印象に残った。

今の不安定な気持ちも待つという逃避の気持ちが言い訳という逃げの姿勢を作ってるのだろうと思った。

どうしていいか分からないから、行動しないから、自己嫌悪して自分が劣化していく。

でも私は逃げ回り、待つだけの人生を過ごしたくない。

何故なら今の私は生きてる感覚が無いし、幸せからと遠い真反対の世界を彷徨ってるからです。

せっかく生きるなら、生きる証を持って人生を全うしたい。

一人でコツコツ頑張るのも好きだが、一人で幸せは作れない。

友達・親・知り合いと多くの螺旋のようなものが絡み合って自分と言うものが形として出てくる。

スポーツにしても選手だけいても成り立たない。そこには審判や観客がいて初めてスポーツと言う「形」がでる。

努力と言うか言い訳をして諦める負け犬癖を無くしたい。その代わり真剣に自分の悩みや問題意識に対してはしっかりと向き合っていきたい。

よく、挫折をした人間は強いと聞く。でも私はそう思わない。
何故ならその挫折を逃げずに向き合って取り組んだ人間こそが強いと思う。
挫折をしただけの人間は強くはないと思う。挫折から逃げた人間は弱いと思う。挫折がまた出たら逃げるから。

だから私は挫折や悩みに逃げずに向き合って強くなりたい。それが生きる証になるんだと思うから。

では、また。

4/30→6/10の充電期間

お久し振りです。kiyuuです、最近忙しいわけでもないのに生きるのが辛いなと思う日々が続いてます。

実はここ数カ月、食事が満足にとれずに睡眠がとれずにその日のストレスや疲れが取れない日が続いてます。

正直、しんどい。生きるのがしんどいんだぁーと。

初めての感覚。こんなに生きるを否定したくなるのは、何だか自分が怖い。このまま消えていくのかと思うと。

どうしようかな、これからなんて(≧ヘ≦ )プイッ!!

とりあえず、これからも自分のリアルを綴れるように人生の肥やしを増やせる努力をしてみます。

希望と言う名の架け橋を探してきます。 いや見つけてきます。

では、また。

「まじめ」について考えてみる

皆さん、お久し振りです。 不器用なりに日々を過ごしてます。

今日は「まじめ」について考えてみます。

私はよく「まじめ」と言う言葉をかけられます。
まぁ、この言葉には色々なニュアンスがありますが、多くの方は馬鹿にされたり、からかわれてる様な意味と受け取るのではないでしょうか?
むろん私もです、嫌気が指されることも多々ありますから。

でもね、私はこの「まじめ」って言葉を大切にしたいと思ってます。
何故ならこの言葉は私の人生そのものですから。私の人生のフィロソフィーと並ぶくらい大切だからです。
例えるなら喉が渇いたから水を飲む。と言う理屈(?)なのでしょうか。

「まじめ」な私からそれをとれば“中途半端”と言う概念しかありません。
それならば自分の長所を大切にしたいんです。中途半端な人生を過ごせば中途半端な人生を歩み、中途半端な人間にしかなりません。結局、自分の人生を振り返ろうとしても中途半端にしか思い出せないのではないでしょうか?

それだったら真剣悩んで、考えて、動いて自分の与えられた課題に挑戦したい。
私が「まじめ」を肯定する所以は諦めないことと最後までやり抜くことというバックグランドがあるからです。

例えレースでビリでも何位でも完走したという事実を残すべく私は挑戦と言う名のレースを「まじめ」と言う名のゼッケンと共に完走して終わりたい。

あれはあれ、これはこれ。

お久し振りです、最近はハリケーンのように慌ただしい日々が続いてますが元気にやってます。

 つい最近ですがこの前、退任される先生との正式にお別れが大学でありました。(詳しくはこちら
私の大学人生の道(つまりフィロソフィー)を築いて頂いた方です。先生としても人間としても、とても強い魅力を持ちました。

 褒められる機会もあり、ヘタクソ扱いされて物凄く悔しくて、逃げたくて仕方ない時期もあったけど「ギャフンと言わしてやるッ!」という気持ちで勝負をして良いレポートや努力する大切さを身にしみて再確認した。
気付かない間に自分磨きをして知力と行動力が付き大学生活と日常生活を少なくともより良くなった。

 明日から大学が始まる。「今日より明日」
今日という2013年4/7が過去になる。尊敬する先生はもういない。苦しいし寂しいし辛いけど、まだ先になる何かを見たい。明日をしっかりと生きて見えてくる明日を見たい。

 先生ありがとう、お陰様で苦しい事を経験出来ました。 そしてこの苦しみも楽しみに変えることが出来ました。

 私の物語は終わらない、別れも辛いことも“楽しい„に変える度量を持てるように成長をし続けたいです^^b

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